横須賀製鉄所
横須賀製鉄所
3-1横須賀製鉄所時代
時代背景
江戸の末期に小栗上野介によって起工された横須賀製鉄所は明治維新の混乱期を超えて生き残り、横須賀造船所へと受け継がれて行きます。
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3-2長浦から横須賀港へ
浦賀から横須賀へ
当初横須賀製鉄所の候補地は長浦湾であったが、水深の関係から「横須賀湾」に変更される。
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3-3横須賀製鉄所を支えたフランス
小栗とヴェルニー
製鉄所建設にあたっては、当初米国に支援を依頼する予定だったが、米国は当時南北戦争で手一杯であり、フランスに支援を依頼することになる。
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フランスの技術者と日本人
フランス技師は平均25名程度が約10年働いたようである。その間日本人職工は年間約1000が従事した。
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3-4初期の横須賀製鉄所
初期の製鉄所
横須賀市自然・人文博物館の作成によるもので、横須賀製鉄所建設の初期の頃、江戸末期の横須賀の様子がうかがえます。
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本格的一号ドック
本格的な1号ドック(現在米海軍施設内)が稼働します。このドックは今も健在で稼働しています。横須賀造船所のところでドックの重要性については紹介します。
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1号ドック付近(CG)
このCGは横須賀自然人文博物館が作成した、日本最初の近代的ドック(1号ドック)の付近のCGです。お楽しみください。
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3-5近代化の芽生え
近代化の芽生え
ここでは、横須賀製鉄所時代に育った近代化の芽生えについてその代表例を追ってみます。
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近代化の芽生え(具体例)
西洋式労務管理
近代化の芽生えとして、第一に西洋式の労務管理・教育制度の導入があげられます。
まさに働き方改革のさきがけであったような気がします。
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日本初の技術教育
明治3年横須賀製鉄所は新設の技術学校「黌舎(こうしゃ)」を設立します。
当初は製鉄所雇のフランス人の余暇をもってフランス語、算術、図学を学習したにすぎなかった。
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西洋医学の普及
製鉄所の職員の健康管理に貢献した医師「サヴアチエ」。
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富岡製糸工場建設の支援
平成26年(2014年)6月に「富岡製糸場と絹遺産群」は、世界遺産に登録されました。明治5年(1972年)に完成した富岡製糸場は、当時既に本格稼働していた横須賀製鉄所をモデルに建設されました。
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日本初の様式灯台
1866年江戸幕府は米、英、仏、蘭と結んだ江戸条約によって航行安全のための灯台を建設す
る約束をし、日本初の洋式灯台が観音崎に建設されます。
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生野銀山の技術支援
横須賀製鉄所は生野銀山生野銀山用のボイラー、また鉄橋の作製も支援しました。
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