大正4年の横須賀海軍工廠 船渠

横須賀海軍工廠時代 (1903~1945)

5-1 海軍工廠  時代背景

海軍工廠 時代背景
海軍工廠の時代は日露戦争後の海軍拡張期、第一次世界大戦後の海軍軍縮期、そして無条約期へと変遷していきます。
海軍工廠 時代背景

5-2 拡張期(:1905-1920)

連合艦隊解散の辞を読み解く
勝利に酔いしれていることへの警鐘
訓練の重要性を説いた訓示

連合艦隊解散の辞を読み解く
米国白色艦隊の日本来航
黒船から半世紀、1908年(明治41年)10月米国大西洋艦隊が、世界一周の途中で横浜に来航した。16隻の軍艦は、白く塗られていたことから、Great White Fleet(白色艦隊)と呼ばれた。
米国白色艦隊の日本来航
金剛の輸入(最後の輸入戦艦)
戦艦金剛を最後に輸入から国産になる。
金剛の輸入(最後の輸入戦艦)
特務艦隊
第一次世界大戦下、地中海に派遣された特務艦隊
特務艦隊
戦艦陸奥建造(拡張期から軍縮期へ)
陸奥が竣工したのは、大正10年(1921)10月24日ということになっている。ワシントン軍縮会議で11月11日までに完成していない艦船はすべて廃艦とするという決まりであった。
 陸奥はこの会議で未完成との指摘をうけたが、日本側は完成していると主張、結果完成日が1か月早まっている。
戦艦陸奥建造(拡張期から軍縮期へ)

5-3 軍縮期(1920-1933)

空母鳳翔(1922)
1922年(大正11年)世界初の新造空母(9494トン)が横須賀海軍工廠で建造された。
空母鳳翔(1922)
関東大震災の横須賀(1923・T12)
関東大震災、1923年(大正12年)9月1日11時58分
死者・行方不明者は推定10万5,000人
関東大震災の横須賀(1923・T12)
横須賀(追浜)海軍航空隊
海軍航空隊として追浜の浜が選ばれた理由;
 ・海岸の波が穏やかで水上航空機の運用に適していた
 ・横須賀海軍工廠に近く、技術連携が容易
 ・横須賀鎮守府にも近く、指揮統制が容易
横須賀(追浜)海軍航空隊

5-4 無条約期(1933-1945)

改装なった陸奥とその後
改装なった陸奥とその後
国威顕彰の碑
無条約時代に入った海軍は「国威顕彰碑」を造ります。
敗戦後碑の周囲にあった銘板は剥がされ、ヴェルニー公園の端にひっそりとたたずむ碑をみる時、まさに歴史の光と影を感じずにはいられません。
国威顕彰の碑
国威顕彰の碑の3D化
国威顕彰碑に八咫烏と銅板を合成し3D化を試みました。
国威顕彰の碑の3D化
空母信濃建造
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