戦後の復興を支えた技術と人材

戦後の復興を支えた技術と人材

9-1 教育のマザーランド横須賀

海軍の人材育成(全般)
明治の初期、黌舎から始まった日本近代化貢献した人材そして戦後荒廃した日本を立て直したのは人であります。海軍は「若者を養成する教育」「技術教育」そして装備品を運用するための「術科教育」と三つに大別して教育を実施してきました。
海軍の人材育成(全般)

9-1-1 技術教育

明治3年 技術学校「黌舎」
明治3年横須賀製鉄所は日本初の技術学校黌舎を設立しました。
黌舎の黌とは”まなびや”学校の意味です。
明治3年 技術学校「黌舎」

9-1-2 素養教育

海軍機関学校の変遷
機関学校は横須賀造船所という現場に密着した教育が重視され、当初横須賀汐留(現在京浜急行の汐入駅付近)に設立されますが、日露戦争の風雲急を告げる中、海軍増勢(機関要員の増勢)の必要性から1901年(明治34年)埋め立てられた白浜地区に移転します。その後関東大震災の被害をうけ生徒部(後に本部)は京都舞鶴へと移転しますが高度の機関術の教育機関として工機学校は横須賀に残ります。
海軍機関学校の変遷
横須賀海兵団
新兵の教育のため横須賀海兵団は当初横須賀の逸見に設置された。その後大正6年に横須賀市楠ヶ浦に移転する。
横須賀海兵団
予科練
「若き血潮の予科練の・・・今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ」と歌われ、予科練と言えば「霞ヶ浦」が有名ですが、その15年の歴史の最初の9年は追浜でした。追浜は予科練発祥の地なのです。
予科練

9-1-3 術科教育

横須賀にあった術科学校
大砲をはじめ各種装備を使いこなすための士官・下士官に対する教育(術科教育)は極めて重要です、これがなければ、艦は単なる鉄クズです。潜水艦学校(呉)を除き術科学校は横須賀に集中していました。
横須賀にあった術科学校
工機学校
機関学校の項で説明しましたが、ここは明治の初期は白浜海岸でしたが海軍が埋め立て機関学校が汐留から移ってきます。その後機関学校は舞鶴に移転しますが高度な機関技術を教育する工機学校として終戦まで続きます。現在米海軍基地との境界に当時の正門が残っていましが、そこから三笠まで道がまっすぐ延びています。当時の面影を残している場所でもあります。
工機学校
工作学校
久里浜明浜小学校の横の公園に海軍工作学校跡の碑があります。昭和16年4月に海軍工機学校から分離して海軍工作学校が久里浜の地に開校されました。
工作学校
水雷・通信学校
日露戦争になんとか間に合い完成した「36式無線機」。しかしそれを使いこなすための通信要員が必要です。当時はまだ通信学校などはありません、
当時横須賀田浦に設立されていた水雷練習所(後の水雷学校)で通信要員への猛特訓が開始されます。
水雷・通信学校

9-2 現在に続く技術(全般)

技術基盤全般
ここでは横須賀製鉄所から海軍工廠で育った技術がどの様に現在の技術につながっているか、その一部を概観します。
技術基盤全般

9-3 艦船

艦艇
映画で観る戦艦は何か鉄の塊、無機質の鉄の塊のように思われるかもしれません。またアニメではあっという間に書かれ造られてしまっています。しかし実際はそんなに簡単ではありません。大砲、そしてそれを動かすためのエンジン、支える船体。また建造するための人的基盤、修理基盤、そして多くの人たちが戦艦を動かしています。多種多様な組織、人に支えられて艦船がその戦力を発揮できるのです。
艦艇

9-3-1 側的技術

測距儀
大砲を撃つためには相手迄の距離を測定する必要があります。日本海軍はレーダーの開発は試みますが終戦まで主流は光学的な測距装置でした。
測距儀
レーダー技術の出現
国産のマグネトロンを使用したレーダーは、大日本帝国海軍の二号二型電波探信儀だけで、ホーンアンテナを利用していた。完成したのが1943年であった。
レーダー技術の出現
新たなレーダー技術
その後、レーダー技術は発展し色々な民生分野に利用されれようになる。
新たなレーダー技術

9-3-2 砲煩技術

砲煩技術から大型タービン軸等
大口径砲を造るためには砲身を制作する技術も重要ですが、大型の鋼塊(綱のインゴット)製造技術は極めて重要です。これらの技術があって世界最大の発電機用ローター(273㌧)の製造が可能となります。
砲煩技術から大型タービン軸等

9-3-3 船体・機関技術

船体・機関技術
船体は当初は木製でしたが、表面を鉄で覆う鉄皮、そして鋼材を接合するためのリベット技術、電気溶接技術へと進化します。大型の鋼船ができるに従って、機関の出力も向上していきます。
船体・機関技術
蒸気タービン船の原理
蒸気タービンプラントの基本的な構成図です。ボイラで水を熱して蒸気を作り、その蒸気を主機である蒸気タービンに噴射して回転力を得るものです。
蒸気はその後復水器という装置で水に戻して再使用します。
蒸気タービン船の原理

9-3-4 造船・修理基盤

造船・修理基盤
現在の米海軍基地には海軍が造った1号から6号のドックが現役で使われています。特に6号ドックでは終戦間際空母信濃が建造されました。現在は米空母の修理に使われています。大型のクレーンも修理には欠かせない物です。戦艦陸奥等を建造したガントリークレーンは横須賀を象徴する物でした。戦後もしばらくは艦船建造に使われていました。
造船・修理基盤

9-4 航空機

航空機技術
追浜航空技術敞で育った技術は多くあります。その中で新幹線の高速安定走行に貢献した技術は有名です。
航空機技術

9-5 無線技術

36式無線機
日本海海戦勝利の影の立役者 36式無線機の技術とその後の発展について見てみたいと思います。次の電池の項で述べますが、36式無線機の無線技術もさることながら、電源を支えた蓄電技術も興味深いです。
36式無線機
検波器(コヒーラ)について
36式無線機に使われていたコヒーラといわれる検波器について、YRP無線資料室室長太田先生に実験をしていただきました。
検波器(コヒーラ)について
真空管技術
日本でも真空管技術が重要であると認識して真空管の研究開発が開始されました.
とくに横須賀の海軍工廠で設計してメーカーに作らせた真空管には海軍マークが印刷されました。
真空管技術
通信技術の進化
1947年にアメリカで発見されたトランジスタは、またたく間に、真空管にとって代わりました。トランジスタは、真空管のようなヒーターがなく、温度も高くなく、半永久的に使えると評判になりました。トランジスタは、ゲルマニュームやシリコンの結晶の上に作ります。間もなく、結晶の上に、たくさんのトランジスタを作る技術 “IC”が誕生し、よりいっそう、電子機器は小型になっていきました。小型にすることで、さらに高い周波数の信号も使えることになりました。
通信技術の進化

9-6 電池技術

36式無線機と電池技術
36式無線機の無線技術だけでなくその電源を支える蓄電技術があったことは見逃せません。そして今ドローン技術が脚光を浴びていますが、ドローンを支えるのに高性能電池と無線技術は欠かせません。
36式無線機と電池技術
電極材料の進化
電池は電極に鉛を使っている限りその能力は限界に来ていると聞いたことがあります。しかし電極材料の進化によって、その能力は飛躍的に伸び、電気自動車、ロボット等を支えるなくてはならない技術となっています。
電極材料の進化
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