横須賀造船所
横須賀造船所(1871~1903)
4-1 横須賀造船所時代
時代背景
横須賀造船所は横須賀製鉄所と海軍工廠の間にあってあまり目立ちませんが、日露戦争を影で支えたのは横須賀造船所であります。
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4-2 造船所を散策する
遊園地のような横須賀造船所
明治の初期、横須賀造船所は日本の近代化を肌で感じる、エンターテイメントスポットだったようです。多くの見学者が訪れ、この様なパンフレットが配布されたようです。
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横須賀造船所の今昔
製鉄所時代(桃色)から造船所時代(黄色)を経て海軍工廠(白色)と、埋め立てが進んでいくことがうかがえます。
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4-3 明治中期の東京湾の防備
東京湾の砲台群
明治の中期に入り、清国の脅威を感じ始めた政府は、再び東京湾の防備に乗りだします。
横須賀と言うと海軍の色彩が強いのですが、陸軍も不入斗に重砲連隊が駐屯していました。この東京湾海岸砲台群は陸軍が運用していました。
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猿島砲台跡
明治17年(1884)に観音崎砲台群とともに猿島に砲台建設が始まります。猿島の謂われ昔日蓮聖人が千葉から東京湾を横断し鎌倉に渡るとき、この島に上陸し出会ったことから出会ったことから「猿島」に名前がついたと聞きました。
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千代ヶ崎砲台跡
写真は千代ヶ崎砲台の上空写真です。
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第三海堡
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4-4 日露戦争を支えた技術
日露戦争を支えた技術全般
日本海海戦を勝利に導いた東郷司令長官は「軍事上の勝因の第一として、小栗さんが横須賀製鉄所を造っておいてくれたことが、どれほど役立ったか知れません」と言われたそうです。
日露戦争を支えた技術の一端を見てみたいと思います。
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大型戦艦の輸入
日本海海戦の勝利の表舞台は、英国等から輸入された大型戦艦(赤の部分)でありました。
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小型艦船の国産
1905年(明治37年)5月27日の昼間における、主力艦の戦いの後、戦闘は夜の戦いとなりますが、そこで、夜襲をかけたのは小型艦艇でした
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世界を凌駕した36式無線機
バルチック艦隊発見の第一報を連合艦隊に通報した36式無線機。
その世界一の能力を日本の技術者は短い期間に開発、そして運用に結びつけた。
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36式無線機開発の歴史を語る
36式無線機の開発経緯についてYRP 無線資料室室長太田先生にお話を伺います。
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機関技術(宮原式缶)
当時の艦船は高温の蒸気とタービンによって動いていた。ここでは特に高温の蒸気を発生させるエネルギー源である缶の歴史を見てみます。
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ドックの建設
横須賀製鉄所時代に起工された1号ドックそして3号、2号ドックと建造されていきます。
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水道の建設
真水は乗員の生活水はもちろんのこと、蒸気タービンには欠かせないものです。
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良質な石炭の確保
軍艦は水と同様、良質な石炭(無煙炭)を必要としました。
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日本初の技術学校「黌舎」
明治3年横須賀製鉄所は日本初の技術学校「黌舎」設立。
「黌舎」とは黌(まなびや)すなわち学校の意味です。
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4-5 浦賀船渠
1897(明治30年)浦賀に造られた民間造船所
江戸の末期(1853年)浦賀浦賀造船所が建設されますが、横須賀製鉄所ができ明治9年に閉鎖されます。その後情勢が厳しくなりはじめた明治30年民間会社浦賀船渠が設立、平成15年まで浦賀工場として活躍します。
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