黒船までの横須賀
黒船までの横須賀
0-1三浦半島、浦賀の歴史
古事記から黒船まで
黒船が浦賀に来航し、日本の近代化への扉は開かれて行きますが、まずは黒船以前の三浦半島そして浦賀の歴史について概観してみたいと思います。
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0-2古事記の時代
弟橘媛命の伝説と走水神社
オトタチバナ姫の深い愛が日本武尊の東征を支えた「オトタチバナ媛入水」の物語
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0-3鎌倉から戦国時代
三浦一族と北条氏そして浦賀
1200年代鎌倉幕府を支えた三浦一族、しかし最終的に北条氏に滅ぼされた三浦一族。その後1500年代三浦一族の末裔として生き延びた後三浦と小田原の北条氏(鎌倉幕府の北条氏とは姻戚関係はありません)との東京湾を巡っての攻防について語っていただきます。
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0-4関ヶ原の合戦から江戸初期
三浦按針と浦賀(1600年代)
関ヶ原の合戦の半年前1600年4月ウイリアムアダム(後の三浦按針)を乗せたリーフデ号が九州豊後臼杵に漂着した。
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南蛮貿易で栄える浦賀
16世紀後半から17世紀初頭にかけての国際貿易港としては長崎や平戸などが有名ですが、この当時家康はスペイン船を浦賀に誘致しており、江戸時代の鎖国が始まる直前の一時期、浦賀はスペインとの貿易港となっていたのです。2019年「日西墨比貿易港之碑」の碑が「浦賀湊を世界文化遺産にする会」によって東叶神社境内に建立されました。
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0-5江戸中期から末期
干鰯の交易で栄える浦賀
干鰯とは「イワシを干したもの」で特に綿花の肥料に使われました。当時房総で大量に生産された干鰯は浦賀の問屋を仲介し全国に売買されました。
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浦賀奉行所の役割
江戸の経済が安定してくると江戸と関西等の交易が盛んになって行きます。それにしたがって江戸への物資と統制が必要となり、所謂税関としての役割として浦賀奉行所が重要になって行きます。
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0-6江戸の警備
江戸湾の防備
黒船が来航する前から、幕府は江戸の防備の重要性に気づき、観音崎に台場を造り始めます。
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日本周辺に出没する外国船
鯨油獲得のため鯨を追って太平洋に出没する外国船。
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